読んで回復するリカバリーの研究

疲れている。
そう思ったとき、私たちはすぐに「何を買えば回復するか」を考える。
リカバリーウェア、サプリ、マッサージガン、CBD、サウナ、睡眠アプリ、ちょっと高い枕。
もちろん、それらが悪いわけではない。
身体を温めることも、眠りやすい服を着ることも、筋肉をゆるめることも、意味はある。
けれど、ここで一度立ち止まりたい。
本当に疲れているのは、身体なのだろうか。
それとも、終わっていない仕事なのか。
返信していないメールなのか。
会いたくない人間関係なのか。
自分でも納得していない働き方なのか。
もし疲労の原因がそこにあるなら、どれだけ高機能なリカバリーウェアを着ても、疲れは完全には抜けない。なぜなら、身体は休んでいても、頭の中ではまだ仕事が続いているからだ。
仕事の疲労回復に関する研究では、回復において重要なのは単なる休息ではなく、「仕事から心理的に離れること」だとされている。Sonnentag and Fritzが開発したRecovery Experience Questionnaireでは、仕事後の回復体験は主に「心理的離脱」「リラクゼーション」「マスタリー」「コントロール」の4つに整理されている。
つまり、回復とはただ横になることではない。
仕事のことを考えないこと。
身体と感情をゆるめること。
仕事以外の何かで小さな達成感を得ること。
そして、自分の時間を自分で選んでいる感覚を取り戻すこと。
これが、研究上の「回復」に近い。
なぜ、休んでも疲れが取れないのか

休日に寝た。
サウナにも行った。
マッサージも受けた。
それなのに、月曜の朝にはもう疲れている。
この現象は、単なる体力不足ではないかもしれない。
仕事の疲労研究には、Effort-Recovery Modelという考え方がある。仕事で高い負荷を受けると、身体や心理には一時的なストレス反応が生じる。その後、十分な回復時間があれば元に戻る。しかし、回復しきる前にまた次の負荷がかかると、疲労は蓄積していく。
これは、とても当たり前のようで、現代の仕事ではかなり難しい。
なぜなら、仕事が終わっても仕事が終わらないからだ。
Slackは夜にも鳴る。
メールはスマホに届く。
商談の失敗は風呂の中まで追いかけてくる。
人間関係の違和感は、ベッドの中でようやく輪郭を持ちはじめる。
身体は家に帰っている。
でも、脳はまだ会議室にいる。
この状態では、回復は起きにくい。
Sonnentag and Fritzのstressor-detachment modelでは、心理的離脱、つまり仕事に関する活動や思考から離れることが、仕事ストレスからの回復において中核的な役割を持つと整理されている。
だから、疲れているときに最初に問うべきなのは、
「どうすれば休めるか」ではなく、
「何から離れられていないのか」なのかもしれない。
疲労には、名前をつけたほうがいい

疲れている、という言葉は便利だ。
でも、便利すぎる。
実際には、疲労にはいくつもの種類がある。
身体が疲れている。
脳が疲れている。
人に気を遣いすぎて疲れている。
怒りを我慢して疲れている。
決めることが多すぎて疲れている。
自分に嘘をついて疲れている。
終わりの見えない仕事に疲れている。
期待されていない仕事に疲れている。
期待されすぎる仕事に疲れている。
これらをすべて「疲れた」で片づけると、回復方法を間違える。
人間関係で疲れているのに、筋膜リリースをしても根本的には回復しない。
意思決定に疲れているのに、さらに旅行先を比較検討していたら疲れる。
仕事の意味を見失っているのに、睡眠時間だけ増やしても、朝の重さは残る。
もちろん、睡眠は大事だ。
休息も大事だ。
でも、疲労の原因を特定しないままリカバリーだけを足していくと、疲れは「癒える」のではなく「一時的に隠れる」だけになる。
リカバリーウェアを着る前に、まず疲労に名前をつける。
これは、現代人にとってかなり大事な作法だと思う。
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回復とは仕事を忘れることではなく、仕事に支配されないこと
ここで誤解したくないのは、回復とは「仕事を嫌いになること」ではない、ということだ。
仕事が好きな人ほど、仕事から離れるのが難しい。
好きだから考えてしまう。
責任があるから考えてしまう。
自分の名前で仕事をしているから、なおさら考えてしまう。
しかし、仕事が好きであることと、常に仕事に接続されていることは違う。
心理的離脱とは、仕事への情熱を失うことではない。
むしろ、仕事に戻るために、いったん仕事ではない自分に戻ることだ。
Wendsche and Lohmann-Haislahのメタ分析でも、心理的離脱は従業員のさまざまなアウトカムと関連する回復体験として整理されている。仕事から離れる力は、怠ける力ではなく、働き続けるための基礎体力に近い。
仕事の外にいる時間まで、仕事の延長にしてはいけない。
夜の散歩。
料理。
映画。
ジム。
本を読むこと。
展示を見ること。
友人とどうでもいい話をすること。
それらは、仕事の成果を出すための「効率化ツール」ではない。
でも結果的に、それらがなければ仕事は持続しない。
人間は、仕事だけでは回復できない。
休暇だけでは、回復は完成しない
疲れが溜まると、私たちは「旅行に行けば治る」と考える。
たしかに、休暇には効果がある。de Bloomらの休暇効果に関するメタ分析では、休暇は健康やウェルビーイングにプラスの効果を持つ一方で、その効果は仕事に戻ると比較的早く薄れると報告されている。
これは少し残酷だが、納得もできる。
旅先でどれだけ美しい海を見ても、戻った先に同じ問題が残っていれば、疲労はまた始まる。
上司との関係がつらいなら、帰国後にまたそのチャットが鳴る。
事業の方向性に納得していないなら、温泉から帰った翌日にまた同じ迷いが始まる。
やりたくない仕事を続けているなら、ホテルの朝食で一瞬元気になっても、月曜には元に戻る。
休暇は大事だ。
でも、休暇は根本原因を消してくれる魔法ではない。
本当に必要なのは、非日常の回復だけではなく、日常の中で疲労が発生する構造を見直すことだ。
リカバリーの作法
では、どうすればいいのか。
まず、疲労を「身体の問題」だけにしないこと。
疲れたときは、いきなり回復グッズを探す前に、こう問い直してみる。
いま一番疲れているのは、身体か。
頭か。
感情か。
人間関係か。
意思決定か。
将来への不安か。
それとも、やりたくないことを続けていることか。
次に、「何をすれば回復するか」ではなく、「何から離れれば回復するか」を考える。
スマホから離れる。
通知から離れる。
苦手な人から離れる。
返信義務から離れる。
未完了のタスクから離れる。
比較から離れる。
売上や数字から一時的に離れる。
そして最後に、仕事以外の自分を回復する。
これは、ただ休むこととは少し違う。
Sonnentag and Fritzの回復体験でいう「マスタリー」に近い。仕事とは別の領域で、少しだけ挑戦し、少しだけ成長し、少しだけ達成感を得ることだ。
絵を描く。
走る。
料理する。
知らない街を歩く。
語学をやる。
展示を見る。
楽器を触る。
友人と笑う。
歴史の本を読む。
仕事と関係ないことをする。
しかし、それによって仕事だけに占領されていた自分が、少し戻ってくる。
リカバリーウェアより先に、回復する生活を
リカバリーウェアを買うのは悪いことではない。
けれど、それは最後でいい。
その前に、回復する生活が必要だ。
回復する人間関係が必要だ。
回復する働き方が必要だ。
回復する余白が必要だ。
回復する沈黙が必要だ。
疲労は、身体に出る。
でも、原因は身体だけにあるとは限らない。
仕事の疲れが取れないとき、私たちはもっと身体に優しくするべきかもしれない。
同時に、もっと正確に、自分の生活を見たほうがいい。
何が自分を疲れさせているのか。
何から離れられていないのか。
どの時間が、自分を回復させているのか。
どの人間関係が、自分を消耗させているのか。
どの仕事が、自分の身体より先に、精神を摩耗させているのか。
回復とは、疲れを消すことではない。
自分を疲れさせているものの正体を見つけることだ。
そして、その正体から少し距離を取ることだ。
リカバリーは、買うものではなく、取り戻すものなのかもしれない。


