その時ラジオの向こうでは〜『幻の声 NHK広島8月6日』

· 教養

1975年、ラジオ放送50周年の折に、ディスクジョッキーをしていた著者、白井久夫氏の元に一通の手紙が寄せられました。手紙の主は、広島県に住む主婦の田辺澄子さん。その内容はというと、


「こちらは広島中央放送局でございます。広島は空襲のため放送不能となりました。どうぞ大阪中央放送局、お願い致します。大阪、お願い致します。お願い致します。……」


 広島に原子爆弾が落とされた8月6日の朝、このような美しい女性の声の哀しいラジオを聞いた、という内容でした。


 しかし番組スタッフが調べたところ、警報を出すためにスタジオに駆けつけたのは技術担当の男性で、女性アナウンサーではなかった……と、番組を締めくくらざるを得なくなります。


 しかし番組は大きな反響を呼ぶのです。是非ともその『幻の声』が誰なのかを突き止めて欲しい、私も確かにその女性の声を聞いた、などなど……。


 そしてこの手紙の内容を信じた映像作家でもある著者は、事の真相を調べはじめることに。


 しかしながら、広島中央放送局は爆心地から1キロ。即日死亡率は59%、総死亡率90%という『地獄のエリア』。早く証言を集めないと永久にお蔵入りしてしまいます。


 そしてラジオ番組の特集を組む、という形で、この件を調べ、そして、その顛末を書き記したのが、今回紹介する岩波新書『幻の声 NHK広島8月6日』になります。


 まずはNHK放送局における原爆による殉職者を調べます。死者の数は36名。そのうち18名はいつどこで亡くなったかすら明記されていなかったのです。


 それでも著者は、局内には3人の女子アナウンサーがいたことを突き止めます。そして更には女性技術者と、タイピストの2名が勤めていたことも。

 しかしどんなに証言を集めても、誰もが『幻の声』の発信者に当てはまることはありません。


 けれど、色々な人が、あの8月6日、広島放送局が大阪放送局へ救援を求めている内容のラジオを耳にしているのです。

「いつも聞くアナウンサーの声ではなかった」

「男性の声だった」

 男女の老若、複数が、呼びかけの内容を変えながら、かなりの時間続けられた模様です。


 まるで探偵が難事件を追うように、その場にいて、そして生存している人達に、地道に話を聞いていく著者。

 それはもはや、『幻の声』探しに終始するだけではなく、その過程で明らかになった人達の運命や真実、そして人生を描くことになっていくのです。


 そして組まれた特集番組「まぼろしの声」は、このようなナレーションで締めくくられることになります。


「田辺さんの胸に生きつづけるあのラジオの声――それは広島中央放送局の最後の声というべきであろうか。あの時から絶えることのない被爆者の叫びとみるべきであろうか。あの日から30年。人類最初の被爆体験を訴えるよう、私たちになおもせまるそれは、ヒロシマの声といえないだろうか」


 なお、本書が刊行された後の2013年に、元職員の日記が公開されることになり、大阪中央放送局への通信は実際にあったということが判明しました。


 けれど、『美しい声の女性』ではない模様。結局本書の謎は、謎のままになっているのです。


 このように、どうしても『女性の声』に行き当たることの出来なかった著者ですが、当時の防空情報を確かめるために新聞記事をあたっていたときに、珍しい写真に出会います。


 それは原爆が落ちる前日の8月5日、紙面の四分の一を使った写真であり、タイトルは『死すとも乱さぬ声』。

 女学生の挺身隊員が、監視哨、情報収集室、放送室で働く『勇姿』を紹介するという写真付きの記事でした(実際にマイクを前に女子学生が放送する任務はなかったのですが、まさに戦時下のプロパガンダというやつですね)。

 挺身隊(女子挺身隊)とは主に未婚の女子によって戦時下で構成された勤労奉仕の団体のことです。


 更にはその3日前の紙面には、広島中央放送局からの告知があり、「警戒情報放送に女子放送員起用」として、女子の声だからといって敵の放送と間違えないように、と紙上で通達をしていたのです。


 つまり、これらの新聞を読み、その写真、広島を背景にした女学生による『死をも厭わぬ警戒放送』の印象が消えないうちに、6日朝の放送を耳にした人達が、紙面の挺身隊女子放送員と取り違えた可能性があるのでは、と著者はエピローグで示しています。


「しかしあのラジオの声は、田辺さんも自問自答するように、たんに歳月の中で美化されたものでない。むしろあの時代も今日も、人間の運命を見放すことができなかった人びとの深い想いのなかに、生きつづけたものである」


 戦争や核兵器、軍拡、そして被爆者のみならず太平洋戦争の語り部の高齢化などが何かと話題になる昨今ですが、17年の月日をかけて書かれたこの渾身の、ミステリを追うように読める、人の心に寄り添ったルポタージュ、気になる方は是非とも図書館まで足を運んでみてください。


 図書館や古書店以外ではなかなか手に入らない本ですが、一度復刊したことがあるので、いつかまた復刊するかもしれません。

 『幻の声』に誘われてヒロシマを知る、ひとつのきっかけになるかもしれません。


@akinona

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