イタリアンブレインロッドが小学生などに大流行しているそうだ。一方で、生成AIで作られた一見不気味の谷を想起させるキャラクターデザインのみならず、その意味不明さも親たちを子供に見せるべきかを考えさせる一因になっている。ただし、本件はイタリア語を学習し、イタリアの友人を数多く持つ私からすると、イタリア語での言葉あそびのようにも思えるし、紀元前からあるいは未開文明の時代から持っていた我々人類の本質が根底に存在すると推測する。
その考察というのがこの記事の趣旨になります。

日経新聞や日経MJでは「脳が腐る」おそれがあるとして注意喚起を出している。それもブレインロットが「脳腐れ」を意味するからである。


過去にこのように子供に悪影響を与えるのではないかと議論された作品はいくつもある。
特に小学生向けに注意喚起が出された漫画としては『ボボボーボ・ボーボボ』(集英社)がある。
実際同じような指摘だというも声も上がっている。

作品の詳しくは こちら
実際近しいところがある。
ITメディアの一文を引用すると
日本のYouTubeでは、「トゥントゥントゥンサフールに恋している」という歌が1800万再生を超える人気に。バレリーナ・カプチーナが、他のキャラクターに恋をしまくっているという歌詞で、「毎晩子どもに聞かされてウンザリしている」という声をママ友から聞いた。
という具合のようだ。
この言葉を見ていると、バレリーナ・カプチーナのように韻を踏んだ名称をあえて出していることがわかる。ちなみにカプチーナはイタリア語のカプチーノの女性形である。このようにイタリア語の名称で韻や繰り返しを作って、心地よい音の言葉遊びをしているように思える。
実際、『ボボボーボ・ボーボボ』もボを連呼して言葉を作っていて、これは意味のない名称に音階や固有名詞にすることで意味を見出すことを示している。この馬鹿馬鹿しさが子供にはウケるのだろう。
また私もそうだが、他の言語を話せることに憧れや一種の優越感があったりするだろう。意味のわからん英語や中国語の真似をして(実際には全然話せていない)、その気になったり、転じて他人を笑わせたりすることはあるが、それは人間が本能的の持っている言語的な感覚に近い。
言語学者の偉人であるソシュールがラングとパロール、犬の鳴き声といった例を考えてみると、言語と暗号の間、コミュニケーションとしての言語といった本質的な名称と意味のない言葉の羅列の間が浮かび上がるだろう。

ちなみにフランスの言語学者ソシュールはこんな人です↑
別の切り口では自分たちだけの内集団を形成するものとして言語的障壁を築くというものがあります。古代ギリシア世界では、ヘレネス(同じ言語を話すもの)とバルバロイ(違う言語を話す集団)という線引きをしました。これによってペルシア戦争に対しての一致団結性を築く歴史的な事例があります。もっともペルシア戦争以降はアカイア同盟やデロス同盟、ペロポネソス戦争といったヘレネス間での内紛が起きますが・・・・・

とはいえ、こうした言語による隔たりは現在もよく目にすることができます。例えばtiktok文化やぴえんなどの過去の若者流行語、metaのおじさん化といった多世代の侵入を防ぐために行われるスラングの開発は毎年のように起こっています。この言語的な隔たりと暗号を用いることで、自分たちだけの自由な空間を子供は享受できるのかもしれません。

そもそもコミュニケーションとは何か?という話で考えてみると社会学ではさまざまな議論がされてきましたし、文化人類学などでもよく考えられるテーマです。そこに意味があるかどうかは文化とコンテクストの読み方次第で、我々が普段目にしているお笑いもドラマも意味があるものがどれほどあるかは疑わしいのではないでしょうか?

ライター:ダイキ A. スズキ
