昔ちらっと読んだときには海にも釣りにも特に興味がなくて、「おじいちゃんが釣りしかしてない…」と思ったこの、世界的名作小説をなんとなく再読して見ることにしました。
結局はやはり、「おじいちゃんが釣りしかしてない」で概ね間違いはなかったのですが、少しばかり昔読んだときには気付かなかった物語の解像度や深度にも、(アラフォーになった今)ようやく気付いたので、そのあたりのことを書いていきたいと思います。
主人公は八十四日間の不漁(よく生きてたな!)に見舞われた老漁師のサンチアゴ(サンチャゴ、と表記されることもあるようです)。あまりにも不漁だったため、いつも漁を手伝ってくれていた助手のマノーリン少年も、親の言いつけで船から離れることに。
サンチアゴ老人は、それでも普段と変わらぬ振る舞いで、野球や宝くじの話をしながら暮らし、そしていつものように海へ、己の小さな船を出します。
ちなみに新潮文庫の『老人と海』には「翻訳ノート」という、訳者が作中の単語について補足をしてくれるコーナーが収まっているのですが、これのほとんどが、出航前のサンチアゴ老人とマノーリン少年が世間話で繰り広げる「野球用語の解説」になっています。
知らない人がここだけ読んだら間違いなく、『老人と海』って野球小説だったっけ? となること請けあいです。ヤンキース、そしてディマジオ(マリリン・モンローの夫としても有名な名選手ですね)贔屓のこのサンチアゴ老人、野球を語るとちょっと長くなるの、きっと世界共通の野球好きあるあるなんだろうな……としみじみ思いました。
それはともかく、大物を追って船を海へと出したサンチアゴ老人。老人が海の生き物を見る目は深く、優しいものが多く、
「老人の中で、海は一貫して"ラ・マール"だった。スペイン後で海を女性扱いしてそう呼ぶのが、海を愛する者の慣わしだった」
というだけあって、二匹のイルカが泳いでいくのを
「憎めんやつらだ。楽しげにじゃれて、惚れあってるんだからな」
と見送り、釣り網に止まって羽を休める、洋上を飛んできた小さな小鳥に
「なあ、チビ、たっぷり休んでいけ」
と優しく声をかけたりもします。海に生きる男ならではのハードボイルドな一面も、海を愛する愛情豊かでもある一面をも持ち合わせた、そんな人物がサンチアゴ老人なわけです。
そう、この本のタイトルはあくまでも『老人と海(THE OLD MAN AND SEA)』、厳しく過酷な海という場所を、それでも愛おしむ孤独な老人の話なのです。
前まで助手としていてくれたマノーリン少年が不在で、ちょいちょい色々と不便な漁の手筈を「あの子がいてくれりゃ」などと考えつつ(この台詞の多さがサンチアゴ老人の孤独をより引き立てます)一人でこなしながら、海を船で進んでいくと、釣網に大物がかかります。
そう、ここからが物語の第二幕。この小さな船よりも大きなカジキとの対決がはじまるのです。
釣る男と釣られる大魚。男は何度も何度も、己が釣って仕留めるはずの魚に話しかけます。
「魚よ」老人は言った。「どうせ死ぬと決まったおまえだ。おれを道連れにしなきゃ気がすまんのか」
「おまえみたいにでかくて、美しく、悠然としていて、しかも気品があるやつは見たこともないからな」
海の網の中の魚を引き倒そうとするだけで、あまりの重みに気が遠くなりかけるサンチアゴ老人。物言わぬこの大物に対する、親近感にも似た愛情のようなものさえ覚えていく過程が、綿密に描かれているのです。
私はカジキのような大きな魚を釣ったことなどありませんが(それどころか、釣りすらも人生で数えるほどしか経験したことがないのですが)、獲物に対する深い愛惜をも感じさせるこのサンチアゴ老人を見ていると、自分もまた海へ行ってみたくもなるというものです。
そして、長い死闘の果てに魚を仕留めて、ようやくのことで巨大なカジキを船に括り付けます。が、その歓びも本の束の間、巨大なカジキの匂いを嗅ぎつけた大きなサメ達が船に襲いかかってくるのです。
「つくづくいいことは長続きせんな、と老人は思った。近づいてくるサメを見守りつつ、大きな魚をちらっと見やる。やっぱり夢のようなもんだったか、と思う」
それでもサメ達にひと泡吹かせることはできよう、とサンチアゴ老人は銛やナイフを手に奮闘するのですが、あっという間に、仕留めたはずの美しく大きなカジキは、サメ達に無残に食い荒らされてしまうのです。
頭と背骨、そして尻尾くらいしか残らなかったカジキを抱えて陸へと帰ってきたサンチアゴ老人。眠る老人を見て思わず涙するマノーリン少年が、問うのです。
「教わりたいことがたくさんあるし、おじいさんは何でも教えてくれるんだから。ねえ、どれくらい苦しいことがあったの?」
そしてその日の午後、通りすがりの観光客の女性が、美しかったカジキの残骸をみてこう呟くのです。
「知らなかったわ。サメにはあんなに立派な美しい尻尾があったなんて」
哀しみを煽るようなこの言葉と、小屋で再びうつ伏せで眠る老人を見守る少年のシーンで、物語はゆっくりと閉じていきます。
まさに短編小説、そして海洋小説、更にはハードボイルド小説(?)のお手本のような物語。たしかに「おじいちゃんが釣りしかしてない」はずなのに、そこには海の奥深さ、過酷さ、老人の優しさや生き様が、みっちりと詰め込まれているのです。
漁というもの、いのちといのちのやり取りの本領を、短い作品の中に描ききり、人生の悲哀や苦闘を、それでも生きていく静かなタフネス。
この小説はピューリッツァー賞(1953年)とノーベル文学賞(1954年)を作者のヘミングウェイにもたらし、今なお読み継がれる永遠の傑作になるのです。
暑かった夏も終わっていく今、静かに向き合うには打ってつけの一冊(映画もあります)。是非とも一度ゆっくり、この本を読み、サンチアゴ老人と一緒に青い青い海へ向かってみてください。
@akinona

