昨今では朝夕のニュース番組を見る度に「どこどこの県でクマによる被害が
……」という言葉を耳にします。熊にとって、山のどんぐりは凶作であっても、人
里にいるニンゲン(や、人間が出す残飯などの食べられるもの)は、今年も安定
した『豊作』なのかもしれません。
そして都会育ち(あるいは熊が出ないとされている九州地方)の人間のほと
んどは、まあまあ他人事として受け止めているであろうこの熊による獣害です
が、昨今では街中に現れて人を襲うことも増えてきているようです。
では、いったいどうすればいいのか。ぶっちゃけた話、熊ってそんなに(そして
どれだけ)怖いのか、具体的によくわからないことも多いと思います。
そこで今回ご紹介する一冊は『羆嵐(くまあらし)』。
著者はこういった(少々おっかない)歴史ドキュメンタリーや、(なんだかえげ
つない)歴史小説を書かせたら天下一品の、吉村昭氏です。(こんなことを言っ
てますが私の超激推し作家なので是非とも読んでみてくださいね!)
近年では小説『破船』が突如として本屋大賞を受賞して話題にもなった、精密
で容赦のない筆致が特徴的な作家が、この『羆嵐』で描いたのは、日本最大の
、そして最悪とも称される「三毛別羆事件」なのです。
舞台は大正4年の12月(ちょうど今大ヒットしている『鬼滅の刃』とだいたい同
時期くらいかな、と思っていただければ良いかと思われます)
冬眠の時期を逃した1頭の羆(ヒグマ)が、わずか2日間で何と6名の男女を殺
害した襲った惨劇の舞台は北海道の開拓村。
とある家で夜明け前、家の中で飼われた馬が何かに怯えて暴れだす音で、
家の主人が目を覚まします。そして朝日と共に薪を取りに行くと、秋に収穫して
軒下に吊してあった、越冬用の食料が荒々しく食い散らかされて、雪の表面に
は羆の足跡だけが残されている……という、なんとも不穏なオープニングから
この事件ははじまります。
そんな中、とある家族で、6歳の子どもが喉を抉られて殺され、妻が何者かに
連れ去られる事件が発生します。家の窓から無理矢理連れ去られたとみられ
るこの妻は、村の皆の探索のおかげで発見されることになりますが、
「遺体と呼ぶにはあまりにも無残な肉体の切れ端にすぎなかった。頭蓋骨と一
握りほどの頭髪、それに黒足袋と脚絆をつけた片足の膝下の部分のみであっ
た」(p54)
それを見た夫は言うのです。
「おっかあが、少しになっている」(p54)
こんなにも恐ろしい惨劇ですが、これはあくまでも事件の序章に過ぎません。
まず、この息子と妻の葬儀にも、羆が突如として遺体の肉を狙って現れて、
参列者一同(と読者)を恐怖のどん底に叩き落とします。
更には村落の家を羆が急襲し、その家にいた4名の大人・子どもが(妊娠中
の奥様とお腹の中の胎児までも)、殺され、3名が重傷を負わされるというあま
りにも無残極まりない事態が起きてしまうのです。
うつろな目で羆に皆殺しにされた家族の骨壺を見つめる男、雪道をとぼとぼ
と歩いて避難する村人達、村に収集される男たちのおびえた姿、やってきた警
察官達、それでも為す術のない一同の中で、ただ一人冷静沈着に羆と対決す
る猟師などが、北海道の開拓村の惨劇にふさわしい冷え冷えと冴え渡る筆致
で、じっくりと描写されていくのです。
そして後に、この事件に遭遇した、当時7歳だった少年は、
「事件の犠牲者1人につき10頭の熊に復讐する」
と誓いを立て、後に熊撃ちの猟師としてその名を馳せることになるのです。
なお、この本の後書きは『北の国から』の脚本で有名な倉本聰氏なのですが
、富良野の原生林に建てた小屋が手違いで電気が通っておらず、真っ暗な小
屋で、先日うっかり読んじゃったばかりのこの『熊嵐』を思い浮かべながら、原
生林の物音に怯え、朝まで眠れずにお酒を飲んでいた、というエピソードが載
っています。
そんな恐ろしくもリアルな体験をした甲斐もあって(?)か、氏は後にこの作品
をラジオドラマにした際に賞を受賞しています。
そして、もちろんですが、この本を読むと『羆に襲われた被害者のDNAを鑑定
し……』などといったこの手のニュースでありがちな文言が、一体どういう状態
だったのか、容易に想像がつくようになります。
そう、文字通り、おそらくは、「少しになっている」のでしょう。
そればかりか、『羆にエサをあげちゃう観光客のニュース』などが、いかに恐
ろしいことなのかも、身に染みて実感できるというわけです。本当にやめましょ
う。
正直、中途半端にサメとかがなんか突然出てくるホラー映画よりは、『ガチ目
』に怖いなあと思うこの一冊、秋の夜長に読んでみてはいかがでしょうか。
もう少し臨場感が欲しいな、という強者は、冬の最中に読んでみても良いかも
しれません。
寒い中トイレに行けなくなっても、朝までお酒を飲むことになっても、当方は一
切の責任は負いかねますが!
@akinona

