「また来たい」と思った街の「何か」

· 文化・食べ物
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「また来たい」と思う街には、「特別な何か」があるような気がしていました。でも、1年間リモートで仕事をしながら、転々といろんな街に滞在してみて気がついたことは、「特別な何か」は感覚的で曖昧で、それでいて心に残る「何か」だったということです。

わたしにとっての「何か」は、大きく3つあります。

1つ目は「街の余白」。

観光地や街で一番人気のレストラン、インスタで見た有名な景色のような、誰もが知っている名所だけではなく、古き良き静かな路地、名もなきビーチ、誰もいない教会、夕日が反射する川。ただそこにいるだけの時間が何より贅沢に感じられたりします。

ガイドブックや地図に載っていない美しい景色に出会うたびに、「いつかまたここに帰ってこよう」と、そう思わずにはいられません。

日本に帰ってきてからも、寝る前にふと瞼に浮かぶ景色は、そういった「余白」だったりします。

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2つ目は「過ごしやすさ」。

明確に、「こうだったら過ごしやすい」というものはないのですが、お店の人が親切だったり、散歩しに行きたいところがたくさんあったり、スーパーに買い物に行くのが楽しみだったり、暑すぎず寒すぎず心地よい風が吹いていたり。

ストレスを感じずにまったりとした日々を送れた街は、「また来たい」だけでなく、「住みたい」とも思える街です。

最後は、「人との出会い」です。

「また来たい」と思うほとんどの街に、「また会いたい」人がいます。わたしの場合、1つの街に少なくとも1ヶ月ぐらい滞在していた為、滞在先のオーナーさんやシェアメイトとの思い出は、街の印象に大きく加点されています。

海に石を投げて遊んだこと、全く言葉が通じないからジェスチャーでコミュニケーションをとったこと、深夜までUNOをしたこと、ミントティーの入れ方を教えてもらったこと、B急グルメのお店に連れて行ってもらったこと。誰かと過ごした何気ない日常は、思い出すたびに心がほっこりし、口元がにんまりと緩んでしまいます。

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その時その場所で出会ったあれこれが、その時の自分にとってちょうどよかった。そんなあれこれが「また来たい」につながっているから、きっとわたしはまた「何か」を求めて旅に出るのだと思います。


ライター:あすみな