この日筆者は3年ぶりに姫路まで足を伸ばした。
目的は、3月5日から2026年春企画展として、三木美術館で開催中の「花は、ただ美しいだけの存在だったのでしょうか?」を観に行くため。魅力的な企画タイトルに惹かれ、初めて行く美術館にわくわくした。

三木美術館は、姫路城の南に位置し、美樹工業株式会社の創業者である故・三木茂克氏が50年余にわたって集めたコレクションが土台となっている美術館だ。(平成20年6月に開館)JR姫路駅から姫路城へ直進する道程の通りに馴染む建物で、一見すると美術館というよりこじんまりした市民ホールといった印象だった。
しかし、コレクションは約800点もあり、近代日本美術をはじめ、陶芸、日本画、洋画作品など多岐にわたる。その中でも、本展は”花”に注目した展示であり、「花は美しい”だけ”の存在であるか?」と観る者に問題提起を投げかけている。
人はなぜ「花」を描く?

筆者は本展の企画タイトルを、別の美術館で陳列されていたパンフレットで知った。花を描いた作品は古来から多くあり、「花を描きなさい」と言われれば、考えなしに綺麗に描こうとしてしまう。たしかに、花自体は美しいと感じることが多いが、『美しいだけ』なのかと問われると、『否』と反発してしまうような気もする。
国に関係なく、古来からなぜ人は花を描くのだろうか?その理由には、象徴性と文化・社会的意味が関係するとされている。
花は時間の経過によってさまざまに表情を変化させる。この経過の過程で、未来への兆し(芽吹き)、瞬間的な美しさ(開花)、衰退(しぼみ)、死・結末(枯れ)とリンクするように感じる。「美は必ず衰える」といったメッセージ性を孕んだ17世紀オランダで流行した虚栄絵画(ヴァニタス)にもある意義を古来から人間は感じていたのだろう。
さらに、人間の生活に深い結びつきがあるということも関係するとされる。衣食住に欠かせない花(植物)は、古来から人間が人間らしい生活を送るために、多様に利用されてきた。そこから植物を愛でるように、モチーフとして多くの作家に描かれてきたのだろうと推測される。(もちろん技術的に練習しやすい被写体でもあるなど、他の説も考えられる)
東郷青児の「花を摘む女たち」を観賞しよう
三木美術館の展示を観てみよう。本展では、3F・4Fに花の作品が展示されていた。

三木美術館所蔵の「花を摘む女たち」(1937年/東郷青児)では、洋装を身にまとった女性たちが楽しそうに微笑んでいる。しかし、背景は薄暗く、時間の予測ができない。場所もよく分からず不穏さすら感じる。華やかで愛らしい女性たちに対し、自然的な美しさを微塵も見せない作品だ。
タイトルにあるように、「花」がテーマのひとつであるが、そこに甘美さや憂いは描かれていない。花はあくまでアクセントで叙情的な乙女像という作品として完成されている。なんとなく異世界に来てしまったかのような不安さも感じてしまう作品に思える。
花は、ただ美しいだけの存在だったのでしょうか?
本展では他にもベルナール・ビュッフェの「ヒヤシンス」や那波多目功一の「白耀」などが展示されている。儚く、いかにも日本絵画的美しさがある作品もあれば、キュビスムが日本に入ってきたばかりの時期に描かれた不可思議な作品も多数ある。
興味があれば、ぜひ観に行ってほしい。おそらくいつ行っても空いているだろう。
展覧会名:花は、ただ美しいだけの存在だったのでしょうか?
会期:2026年3月5日~5月30日
会場:三木美術館
公式ホームページ:花は、ただ美しいだけの存在だったのでしょうか?
ライター:石倉佳奈
広告代理店で6年間営業マンとして勤務した後、1年間日本全国の美術館をめぐるひとり旅へ。現在はSEOライティングやインタビューライティング、イベントディレクターなどさまざまな仕事を請け負うフリーランスライターとして活動中。日本全国の美術館と博物館を制覇すること、ヒマラヤマーモットを飼うことが今の夢。
