モロッコ・タンネリ(革なめし職人地区)を訪れて感じた、伝統とモノの背景

「世界最古の革なめし工場」。
そんな言葉を聞いた時、そこにはきっと、長い年月をかけて受け継がれてきた職人の技術や、現代とは異なる時間の流れがあるのだろうと思った。
今回訪れたのは、アフリカ大陸北西部に位置するモロッコの古都フェズ。
9世紀に築かれ、1000年以上もの歴史を持つこの街には、今なお中世の面影を残す旧市街「メディナ」が広がっている。
その迷路のような街の奥には、何百年も変わらない方法で革を作り続ける「タンネリ(革なめし工場)」が存在する。
写真や映像では何度も見たことがあった場所。
でも、実際に自分の五感で感じた景色は、想像していたものとは全く違うものだった。
フランクフルト経由、深夜のモロッコへ
日本からモロッコへは、フランクフルトを経由して向かった。
カサブランカのムハンマド5世国際空港に到着したのは深夜の2時、3時台。なぜかこの時間の到着便しかなかったし、もちろんこの時間ではこの先の移動手段もない。
フェズへ向かう始発列車まで時間があったため、その日は空港で夜明けを待つことにした。安全面が気になったが、他の地域からの到着便もこの時間帯が多く、みんな仕方なく空港の椅子で夜明けを待っていて案外平気だった。
長い移動の疲れを感じながらも、少しずつ空が明るくなっていく時間は、「いよいよ未知の場所へ向かうんだ」という期待でいっぱいだった。
そして、ようやく始発の時間。
向かう先は、1000年以上の歴史を持つ古都フェズ。
モロッコの街をつなぐ列車に乗り込み、窓の外を眺めながらゆっくりと進んでいく。
一等席でも想像以上にローカルな列車旅
せっかくなので一等席のチケットを購入したものの、日本でいう「一等席」とは大きく違った。
外観こそ電車ではあるが、車内はかなり年季が入り、座席も決して新しいとは言えない。けれど、その少し不便な環境も含めて旅の一部でワクワクする。
窓の外には、乾いた大地や広大な景色がどこまでも続いている。
同じような景色が約4時間も続く中で、普段の生活では見ることのない風景をただ眺める時間は、旅ならではの贅沢だった。
ガイドさんとの出会い
ようやくフェズ駅へ到着。
駅周辺は想像していたよりも人が多く、活気にあふれていた。
しかし、ここから目的地である旧市街まではタクシーで移動しなければならない。
問題は言葉だった。
アラビア語やベルベル語、フランス語が飛び交う中、どう交渉すればいいのか分からない。
そんな時、駅で声をかけてくれた現地ガイドさんと料金交渉をし、そのまま案内をお願いすることにした。ぼったくりなんじゃないか、と思うかもしれないが地球の歩き方で事前学習した予算の範囲内だった。
本人いわく、過去には女優の比嘉愛未さんのガイドも担当したことがあるそう。
その真偽はさておき(笑)、この出会いがこの後の旅を大きく助けてくれることになる。
この日の夕方には青い街シャウエンへ移動する予定だったため、大きなスーツケースを持ったまま観光する必要があった。
事前情報では駅などで荷物を預けられると聞いていたものの、実際には断られてしまった。
困っていると、ガイドさんが知り合いのリヤドを紹介してくれた。
リヤドとは、モロッコ伝統の邸宅を改装した宿泊施設のこと。外から見ると控えめな建物でも、一歩中へ入ると美しい中庭や噴水、色鮮やかなタイル装飾が広がる。
そんな歴史ある空間に、荷物を一時的に置かせてもらえることになった。
言葉も通じない異国で、この安心感は本当に大きかった。
「ガイドさんがいてくれて良かった」と心から感じた瞬間だった。
1000年以上の時を刻む、フェズのメディナ

フェズを語る上で欠かせない存在が「メディナ」だ。
メディナとは、アラビア語で「街」を意味する言葉で、イスラム圏では城壁に囲まれた歴史的な旧市街を指すことが多い。
フェズのメディナは9世紀に築かれて以来、1000年以上もの時を刻み続けてきた場所。
現在では世界遺産にも登録され、世界最大級の迷路都市として知られている。
写真は比較的開けた場所であるが、その他多くの道は人が一人通るのがやっとの細い路地が複雑に入り組んでいるのが特徴だ。もちろん車などは旧市街地内には入れないため、ロバなどを使って物を運んだりするそう。
路地の両側には、職人の工房、小さな商店、パン屋、スパイス店などが並び、歩いているだけでさまざまな音や香りが飛び込んでくる。
ここは単なる観光地ではない。
今も人々が暮らし、昔ながらの仕事や文化が受け継がれている「生きた街」なのだ。
だからこそ、現代の地図やナビゲーションでは簡単に理解できない魅力がある。
Googleマップではたどり着けない、迷宮の先
へ
いよいよ目的地であるタンネリへ向かう。
しかし、ここで改めて感じたのは、ガイドさんの存在の大きさだった。
メディナの道は細く、複雑に入り組んでいる。
Googleマップを開いても現在地が正確に表示されず、自力では到底たどり着けなかったと思う。
歩いていると、道端や軒先でミントティーを飲みながら談笑する男性たちの姿が多く見られた。
一方で、不思議なほど女性の姿はない。
見かけるのは子どもたちくらいで、大人の女性はせいぜい家の中からこちらの様子を眺めているくらいだ。
宗教や文化による生活習慣の違いなのだろうか。
観光名所だけではなく、そこで暮らす人々の日常を見ることで、その土地への理解が少しずつ深まっていく。
鼻を刺す匂いの先にあった、革が生まれる場
所
そして、突然その場所に近づいたことが分かった。
理由は、景色ではなく「匂い」だった。
強烈な獣臭とアンモニア臭。
近くには、まさに加工される前の動物の皮が大量に積まれている。
写真で見たことがある光景でも、実際に目の前にするとその迫力に圧倒された。
タンネリ見学では、臭いを和らげるために一人一本ミントの葉を渡される。
しかし、私が訪れたのは6月下旬。
40度近い強い日差しの中では、ミントは10分もしないうちに乾燥してしまい、ほとんど役に立たなくなってしまった。

工場の方によると、独特の臭いの理由の一つは、革を柔らかくする工程で使われる液体に鳩の糞が含まれているためだという。
昔ながらの方法で革を加工する工程は、決して華やかなものではない。
しかし、その裏側には何百年も受け継がれてきた職人たちの知恵が詰まっていた。
さらに驚いたのは、染色に使われる色がすべて天然素材から作られていること。
植物など自然由来の染料を使い、美しい色の革へと生まれ変わらせていく。
「買う・買わない」の前に、まず知るということ

そこには「革製品を買うまで強く勧められる」「買わないと金銭を要求される」「断っても追いかけられ罵られる」といった体験談もあり、かなり緊張していた。
実際にはもちろん革製品の購入を勧められる。
しかし、はっきり断ると、この時はしつこくされることはなかった。
ガイドさんが外で待っていてくれたことも関係しているのかもしれないが…。
近年では、革製品について環境問題や動物福祉の観点からさまざまな議論がある。
もちろん、それぞれに異なる考え方があると思う。
ただ今回感じたのは、背景を知らずに「良い・悪い」と判断するのではなく、まずそのものがどのように作られているのかを知ることの大切さだった。
もし革製品を選ぶのであれば、その一枚がどれだけ多くの工程と人の手を経て完成したものなのかを知ることで、使う時の気持ちも変わるのではないだろうか。
炎天下の中で作業を続ける職人たち。
長い歴史を守りながら働く彼らへの敬意も、今回の旅で強く感じたことの一つだった。
五感で知るからこそ、旅は記憶になる
フェズのタンネリを訪れたことで、私は革製品そのものだけではなく、その背景にある文化や人々の暮らしを見ることができた。
美しい景色を見る旅も素晴らしい。
でも、時には強烈な匂いや、予想外の驚き、少しの戸惑いを経験することで、その土地をより深く理解できることがある。
フェズのメディナとタンネリは、決して便利で快適な場所ではない。
だからこそ、そこには現代では失われつつある、人の手によって守られてきた時間が残っている。
今回の旅は、モノの価値とは何か、伝統を未来へ残すとはどういうことなのかを考える、忘れられない経験になった。
(以上)
