かつて世界に違和感を抱いていた少女は、40代になり、その世界を少しずつ許せるようになったのかもしれない...

2003年、『蹴りたい背中』で鮮烈な印象を残した小説家・綿矢りさ。2004年には史上最年少の19歳で芥川賞を受賞し、若い世代を代表する作家として一躍脚光を浴びた。
そんな彼女が2026年10月5日、作家生活25周年の節目に最新エッセイ集『ま、さじ加減でしょ。』(集英社)を刊行した。

このタイトルを目にしたとき、どこか清々しいものを感じた。
『蹴りたい背中』から23年。かつて世界の不条理や人間関係の違和感を鋭く見つめていた作家が、今では「まあ、いいか」と微笑んでいるように思えたからだ。
もちろん、これは彼女の創作を追ってきた一人の読者としての解釈である。
しかし、同じ時代に青春を過ごし、社会に出て、年齢を重ねてきた世代の一人として、この変化を高く評価したい。
『蹴りたい背中』が描いた、世界との埋められない距離
『蹴りたい背中』が描いたのは、単なる思春期の孤独ではない。
周囲とうまく馴染めない高校生のハツと、同じくクラスで浮いた存在であるにな川。二人の微妙な関係を通して浮かび上がるのは、他者を理解したいのに理解できない、近づきたいのに反発してしまうという、複雑な感情だ。
人間関係には、説明できない違和感が存在する。
なぜ周囲は平然と集団に溶け込めるのか。なぜ自分だけが、他人の何気ない言動に引っかかってしまうのか。
こうした繊細さは、時に人を孤独にする。しかし、それは同時に、他人が見落としてしまう世界の細部を発見できる才能でもある。
綿矢りさの魅力は、まさにそこにあったのではないだろうか。
『蹴りたい背中』に漂う苛立ちや孤独、他者への複雑な感情は、若さゆえの未熟さというより、世界を敏感に受け止める感性の表れだったように思う。

最新エッセイ『ま、さじ加減でしょ。』に感じる大人の余裕
それから23年。
42歳となった綿矢りさが発表した『ま、さじ加減でしょ。』には、雑誌『LEE』での連載や旅の記録をまとめた全50篇が収録されている。
北京や上海での滞在、国内外への旅、ファッション、子ども時代の思い出、そして何気ない日常。
題材そのものは実に身近で、ときにユーモラスだ。
2026年10月に公開された『LEE』のインタビューで、綿矢は以前、エッセイを書く際に自分の考えを率直に表現することへ不安を感じていたと振り返っている。しかし30代後半から40代を迎え、本音を書く楽しさに気づいたという。
この変化は実に興味深い。
若い頃には、世界の違和感を捉えるために鋭敏だった感性が、今では日常のおかしみや人生の偶然を楽しむ方向にも向けられている。
それは繊細さを失ったということではない。
繊細なまま、世界との付き合い方を覚えたということなのではないだろうか。
繊細な人が、自分の繊細さを許すということ
人は年齢を重ねれば、自然と寛容になるわけではない。
むしろ、経験を重ねるほど他者に失望し、世の中への不信感を強める人もいる。
それだけに、自分の感性を失わず、それでも世界を受け入れる方向へ進めることには、大きな価値がある。
若い頃は、自分の違和感を周囲に理解してほしいと願う。ときには、自分の納得できない世界のほうが間違っているのではないかと考える。
しかし大人になるにつれ、世界は必ずしも自分の期待に応えてくれないことを知る。
他人の考えを変えられないこともある。自分自身の欠点を直せないこともある。努力しても報われないことも、理不尽なことも起こる。
それでも、世界のすべてを否定する必要はない。
そして何より、自分が傷つきやすいことや、些細なことにこだわってしまうことを、いちいち否定しなくてもいい。
「まあ、いいか」
この言葉は、投げやりな諦めにも聞こえる。
けれど、さまざまな経験を経てたどり着く「まあ、いいか」は、もっと積極的な意味を持つ。
完璧ではない自分を許すこと。そして、完璧ではない他者や世界も許すこと。
『ま、さじ加減でしょ。』というタイトルからは、そんな成熟のあり方を想像してしまう。
『蹴りたい背中』から「まあ、いいか」へ。それは敗北ではなく成長だ
人生における成長とは、若い頃に信じていたものを捨てることなのだろうか。
必ずしもそうではないはずだ。
『蹴りたい背中』に描かれた鋭い感受性も、他者との距離に苦しむ心も、何ひとつ間違っていない。
若い頃にしか抱けない感情には、それ自体の真実がある。
ただ、40代になった今も同じように世界と衝突し続ける必要はない。
違和感を覚えながらも笑うことができる。納得できないことがあっても、時には受け流せる。他人と違っていても、自分を責めなくていい。
それは妥協というより、人生をより自由に生きるための知恵だ。
もちろん、綿矢りさの作品は『蹴りたい背中』から突然、穏やかなエッセイへと変化したわけではない。『勝手にふるえてろ』『私をくいとめて』などでも、自意識の揺れや人間の滑稽さをユーモアとともに描いてきた。
だからこそ今回のエッセイは、長い時間をかけて変化してきた作家の感性が、ひとつの自然な形に落ち着いたようにも見える。
**かつて世界に対して鋭い問いを投げかけていた人が、今度は世界に微笑むことができる。**
それは決して敗北ではない。むしろ、実に美しい成長ではないだろうか。
同じ時代を生きてきた世代として、清々しい
1984年生まれの綿矢りさは、2000年代に青春を過ごした世代の作家である。
インターネットが日常へ入り込み、個人の価値観が多様化し、社会が目まぐるしく変化していく時代を生きてきた。
彼女の作品に共感した読者たちもまた、それぞれの人生を歩み、仕事や人間関係、家族、社会との折り合いを模索してきたはずだ。
そして40代を迎えた今、かつてなら許せなかったことを、少しだけ許せるようになった人もいるだろう。
もちろん、いまだに許せないことがあっても構わない。
それでも、世界と戦い続けることだけが自分らしさではないと気づけたなら、人生は少し軽やかになる。
綿矢りさの最新エッセイ集『ま、さじ加減でしょ。』に感じるのは、まさにそうした軽やかさだ。
繊細な人が、自分の繊細さを許す。
そして、世界の不完全ささえも、少しずつ許していく。
その境地がなんとも清々しい。
『蹴りたい背中』の頃から彼女を知る同世代の一人として、この変化に心から拍手を送りたい。
そして、こうも思う。
世界を鋭く見つめる才能を持った人が、それでも世界を愛おしいと思えるようになること。それこそが、大人になることの最も美しい一面なのかもしれない。
---
書籍情報

『ま、さじ加減でしょ。』
- 著者:綿矢りさ
- 出版社:集英社
- 発売日:2026年10月5日
- 価格:1,760円(税込)
- ページ数:208ページ
- ISBN:978-4-08-790255-6
※本記事は著者の過去作品、公開されている書籍情報およびインタビューをもとにしたストローマガジン独自の文学的考察です。
