ラルフ ローレンの広告を見ると、そこには不思議な時間が流れている。
石造りのカントリーハウス。乗馬。古い木製家具。暖炉。ツイードのジャケット。白いシャツ。深いネイビーのブレザー。手入れされた庭園。そして、そこに暮らしていることが当然であるかのように振る舞う男女。
新しい服を売っているはずなのに、「今年」をほとんど感じさせない。
しかも興味深いのは、Ralph Laurenは英国ブランドではないということである。
創業者ラルフ・ローレンは1939年、ニューヨークのブロンクスに生まれたアメリカ人だ。ブランド自身も、ニューイングランド、西部、ハリウッドなど、アメリカのさまざまな文化を自らのインスピレーションとして挙げている。
それなのに私たちは、Ralph Laurenを見ると英国のカントリーハウスや乗馬クラブ、オックスフォードやケンブリッジ、古くから続く紳士・淑女の生活を連想する。
なぜなのだろう。
その理由を探っていくと、Ralph Laurenが売ってきたものは単なる「英国風の服」ではないことが分かる。
彼がデザインしてきたのは、長い時間を生き延びる人間の“振る舞い”そのものだった。
1. 歴史――英国上流階級の外側にいた少年だからこそ、その世界を夢見ることができた
ラルフ・ローレンは1939年、ニューヨーク・ブロンクスで生まれた。
そこは、彼が後に描くことになる英国のマナーハウスや乗馬クラブとはまったく異なる世界だった。両親は東欧からアメリカへ渡った移民の家系で、彼自身はニューヨークの移民社会の中で育った。
ここが、Ralph Laurenを理解する上で重要だと思う。
彼は英国貴族の家に生まれ、その服装を受け継いだ人ではない。
外から、その世界を眺めていた人だった。
だからこそ、「実際の上流階級はどう暮らしているか」ではなく、「豊かで美しい人生とはどのようなものか」という理想を自由に編集することができた。
映画の中の富裕層、アイビーリーグ、乗馬、ヨット、英国のカントリーライフ、フランスのリヴィエラ、アメリカ西部。後年のLauren自身も、自らの世界を形づくる要素として、ミリタリー、サファリ、西部、英国乗馬など複数の文化を挙げている。
つまりRalph Laurenの「英国らしさ」は、英国を忠実に再現したものではない。
むしろ、
英国の伝統 × アメリカンドリーム
なのである。

その構造は、彼がキャリアを始めた1960年代後半からすでに現れていた。
1967年、Laurenはネクタイからキャリアを始める。当時の流行に迎合するのではなく、幅広で、英国デザインから影響を受けたネクタイを作った。ニューヨークのメトロポリタン美術館も、彼の初期のネクタイについて「wide and influenced by English designs」と説明している。
ブランド名に選んだのも「Polo」。
ポロは単なるスポーツではない。
馬、芝生、クラブ、ユニフォーム、観客席。それだけで、富、余暇、規律、伝統という世界が成立する。
まだその世界の住人ではなかった青年が、まず「その世界を象徴する記号」を服にしたのである。
ここにRalph Laurenの原点がある。
彼は階級そのものを売ったのではない。階級が生み出してきた美意識に、誰もが参加できる入口を作った。

2. 思想――「Fashion」ではなく「Style」を作る
そしてRalph Laurenが英国的な気品を失わなかった最大の理由が、彼自身のファッションに対する考え方にある。
Laurenは英国について、以前こう語っている。
英国が好きなのは、それが「non-fashion」だからだ、と。
つまり、最新だから美しいのではない。時間が経ち、使い込まれ、古くなっていくものにこそ価値がある。その英国的感覚を彼は「timeless」と表現している。
これはRalph Laurenというブランドの核心だろう。
普通のファッションブランドは、新しさを作る。
今年のシルエット。今年の色。今年の素材。
去年まで正しかったものを少し古く見せることで、新しい服を買わせる。
しかしRalph Laurenは、そのゲームから半歩降りている。
創業50周年に際してLauren自身が振り返った言葉も象徴的だ。彼にとって重要だったのは「fashion」そのものではなく、長く続くstyleと、それによってどのような人生を作るかだった。
だからRalph Laurenの世界には「新品なのに、昔からそこにあったように見えるもの」が多い。
革は少し使い込まれた方がいい。
木製家具には時間が感じられた方がいい。
セーターは祖父から受け継いだようでもいい。
ジャケットは、完璧に着飾るよりも少し無造作に羽織った方がいい。
これは英国の伝統的な上流階級の美意識ともよく似ている。
本当の豊かさは、「新品を買えること」ではない。
良いものを持ち、長く使うこと。
その思想があるから、Ralph Laurenは毎シーズンまったく違う自分になる必要がない。
むしろ変わらないこと自体がブランド価値になる。
現在のRalph Lauren Corporationも、自らの目的を「authenticity and timeless style」を通じて、より良い人生を夢見ることを促すことだと説明している。
ここで売られているのは、服ではない。
「こういう人生を送りたい」という未来の記憶である。

3. デザイン――気品は「豪華さ」ではなく、スポーツと日常の間に存在する

※ウィンブルドンでもこのように着用されている
では、その思想をRalph Laurenはどのようにデザインへ落とし込んでいるのか。
面白いのは、Ralph Laurenの代表的な服の多くが、本来「正装」ではないことだ。
ポロシャツ。
ケーブルニット。
ラグビーシャツ。
チノパン。
乗馬ジャケット。
ツイード。
オックスフォードシャツ。
ブレザー。
いずれも「宮殿へ行くための服」ではない。
スポーツをする。犬と歩く。馬に乗る。週末を田舎で過ごす。学校へ行く。友人を家へ招く。
生活するための服である。
ここに英国的な気品の秘密がある。
英国上流階級のスタイルは、単純な豪華さとは少し違う。
田舎へ行けばツイードを着る。雨なら丈夫なコートを着る。乗馬をするならブーツを履く。夕食になればジャケットへ着替える。
目的に合わせて服装を変える。
だから「私は高価な服を着ている」と主張する必要がない。
Ralph Laurenは、この機能の積み重ねから自然に生まれる品格を非常に巧みに抽出した。
さらに重要なのが、素材と色である。
ネイビー、クリーム、キャメル、ブラウン、バーガンディ、フォレストグリーン。
ウール、カシミア、ツイード、コーデュロイ、レザー、オックスフォードコットン。
これらは極端に時代を感じさせにくい。
形だけでなく、「経年変化する素材」を使うことで、Ralph Laurenの服は時間そのものをデザインに取り込んでいる。
そして服だけでは終わらない。
1980年代以降、Laurenは家具やインテリアへも世界を広げ、店舗そのものまで「その人物が暮らしている場所」のように設計した。Ralph Lauren Homeは現在も英国のカントリーハウスを想起させるEstateの世界について、世代を越えて受け継がれるような家具や、時間とともに美しくなるものとして表現している。
David Laurenも、父親は自分を単なる服のデザイナーというより、服を通して物語を語る人間として捉えていたと説明している。Madison Avenueの店舗も「店」ではなく、一つの環境、クラブ、空気そのものを作ろうとしていた。
だからシャツ一枚を買ったとしても、その背景には家がある。
家の外には芝生がある。
芝生の先には馬がいる。
午後には友人がやって来る。
夜になれば暖炉の前でウイスキーを飲む。
そういう存在しないはずの人生まで、一緒に頭の中へ入ってくる。
これこそRalph Laurenの最大のデザインなのである。
Ralph Laurenが売るのは「貴族」ではなく、「時間」である
だから、Ralph Laurenが半世紀以上にわたって英国紳士・淑女を思わせる気品を維持できている理由は、英国風のジャケットを作り続けているからではない。
むしろ逆だ。
彼は英国の服そのものではなく、その奥にある価値観を取り出した。
良いものを長く使う。
流行より、自分のスタイルを持つ。
スポーツと教養を生活の中に置く。
服だけではなく、家、家具、旅、休日まで含めて美しく暮らす。
そして、それを生まれながらの特権階級だけのものにしなかった。
1939年のブロンクスに生まれた一人の少年が、スクリーンの向こう側にあった豊かな生活を眺め、それを自分自身の解釈で再構築した。
だからRalph Laurenは、英国ブランド以上に「英国らしく」見える瞬間がある。
本物の英国人にとって伝統は、ただそこに存在する日常かもしれない。
しかし外からそれを見ていたLaurenにとって、それは守るべき美しい理想だった。
そして半世紀以上、その理想を変えなかった。
トレンドを追えば、ブランドは時代とともに古くなる。
しかし最初から「時間に耐えること」をデザインすれば、古くなることそのものがブランドの一部になる。
Ralph Laurenがデザインしているのは服ではない。
服を着た人間が、どのような時間を生きるのかである。
それこそが、Ralph Laurenが今なお気品を失わない最大の理由なのだ。
ライティング: 編集長 ダイキ A. スズキ




