『オセロー』と言えば、一般的にはシェイクスピアの戯曲(四大悲劇)よりは、どちらかというと『ああ、あの白と黒の駒をひっくり返すボードゲームだよね?』で知られている気がしますが、あのボードゲームはこの戯曲がそのネーミングの元になっています(実は茨城県水戸市で生まれたゲームだとのこと)
白と黒のせめぎ合い。それはムーア人、今で言うところの黒人(またはアラブ人)とほぼ同義語であるオセローと、そのオセローの白人の妻デズデモーナを表しているとも言われています。
と言われても、シェイクスピアの四大悲劇(『ハムレット』『マクベス』『リア王』そして『オセロー』ですね)とか敷居高すぎて読んでない……という人がほとんどだと思います。
個人的にはヴェルディのオペラ『オテロー』(※イタリア語)が、話がすっきりとわかりやすくまとまってるので入門には大変オススメなのですが、原作も大変面白いのでご紹介したいと思います。
勇敢なムーア人将軍オセローは、サイプレス島(キプロス島)の行政を任されて、妻と一緒に島に赴きますが、この人事でオセローの副官に指名されなかったことに不満を持った旗手、野心に満ち満ちた男イアーゴーは、各種様々な策謀を練り上げて、まずは副官の実直な好青年の白人キャシオーを失脚させることにします。
更にはオセローの愛しい妻デズデモーナがこのキャシオーと不倫している、という、まったくありもしない既成事実をでっち上げようとあの手この手を弄しては(オセローがデズデモーナに贈ったハンカチを盗んでキャシオーの部屋に置いたりなどなど)、己の上司でもあるオセローに『誠実な顔そのもので』どんどんあらぬ嫉妬心を吹き込んでいくのです。
『将軍、恐ろしいのは嫉妬です。それは目(ま)なじりを緑の炎に燃えあがらせた怪獣だ。人の心を餌食とし、それを苦しめ弄ぶのです』(p89)
心からの真摯なアドバイスみたいな名台詞まで出てくる、この悪党イアーゴーの誠実極まりない熱演っぷり。そしてイアーゴーを『誠実』と疑わないオセローは、あの手この手で見せつけられるイアーゴーのでっち上げたインチキな証拠や言葉巧みな弄言・甘言を前に、妻の不貞を信じ込んでしまい、己の手でとうとう、夫婦の寝台の上でデズデモーナを絞め殺してしまいます。
ところが、絞め殺してしまったあとに色々あって露呈する真実。
すべては信頼していたイアーゴーの悪辣な企みだったと露見し、オセローは自害します。自らを刺し、寝台の上で絞め殺した自分の妻デズデモーナに口づけをしながら息絶えていくオセロー、そしてイアーゴーは逮捕され、物語は幕を閉じていきます。
この悲劇には元ネタがあったとされており、デズデモーナ、というヒロインの名前にしては何となく不思議な響きを持つこの名前はギリシャ語で『不運な』を意味するそうです。いやいやそんな不吉な名前をいたいけなヒロインにつけちゃだめだよ……と思わなくもないですが、いたいけなヒロインだからこそですよね。
なお、この劇には「誠実(honest, honesty)」という単語が50回以上(約51〜52回)使われていますが、そのほとんどがイアーゴーを表しているものなのだそうです。
シェイクスピア悲劇作品の中でも屈指の口の上手さと悪辣さと野心家っぷりを持ち合わせているイアーゴー。台詞だって主役であるはずのオセローよりも随分と多く、長いものが多い印象があります。オペラ『オテロー』に至ってはオリジナルソング(?)『俺は残忍な神を信じる(イアーゴのクレド)』まで存在します。
「クレド」というのは、ミサ曲の典礼文のひとつ「私は信じる」と言う意味です。信者が信仰箇条を述べる文を、悪魔化して歌う、見せ場の一つです。
俺は悪漢なのだ
なぜなら人間だからだ
このいっそ潔い悪役っぷりは原作でもオペラでもほぼ同じですね。高潔だけど当時の社会では異端でもあるムーア人の将軍を、嫉妬という名の地獄へ一歩一歩落としていく、その口八丁手八丁っぷりが傑作ともいえるのです。
シェイクスピア四大悲劇の中では、『マクベス』や『ハムレット』と違い、亡霊や魔女などが一切登場してこない、そして『リア王』ほどの国を揺るがす大嵐のような怒濤の物語でもない、どことなく『火曜サスペンス劇場』感があるので、慣れてくるとサクサク読めてしまうことでしょう。そう、この物語はシェイクスピア四大悲劇の中ではもっとも『小規模な悲劇』なのです。
けれど、最後の最後に妻デズデモーナの無実を知り、自ら自害する直前に、オセローは言うのです。
『……(前略)愛することを知らずして愛しすぎた男の身の上、めったに猜疑に身を委ねはせぬが、悪だくみにあって、すっかり取り乱してしまった一人の男の物語……(後略)』(p178)
騙され、唆され、愛しい者の命を奪ってしまってもなお、一人の悪党の奸計の物語としてではなく、悲劇ではあっても、一人の実直な武人の「真実の」愛の物語として幕を降ろすことが許された、といえるのでしょう。
だからこそのタイトル『オセロー』なのかもしれません(だってイアーゴーの方が何倍も台詞多いし出ずっぱりだし……と思う方もいると思うのです)
最後に自害することで、負けたように見えていても、オセローはようやくイアーゴーに勝利した、とも言えるのかも知れませんね。
白か、黒かは『肌の色』だけでなく『疑惑』のことも差すのかも知れません。証拠ひとつで同名のボードゲームのように局面がひっくり返ったり、一枚一枚ゆっくりと、心を塗り替えていく、そんなシェイクスピアの悲劇、是非とも1度は味わってみてはいかがでしょうか。
前述したオペラ版もあれば(オススメ!)、映画も数多くあります。
好きな媒体で、ゆっくりとお楽しみください。古典作品というのに流行はないので、ゆっくりと、いつでも、お楽しみ頂けることかと思います。
@akinona

