たまたま『テヘランでロリータを読む』というタイトルの本にふと惹かれ、「そういえ
ば私は『ロリータ』をきちんと読んだことあったっけ……」と思い立ったのが運の尽きで
した。
新潮社のハードカバーのナボコフ・コレクションを借りてまずは序文に目を通します
。『この著作全体には、猥褻な言葉が一語として見当たらない』ってあったので何となく
安心し、本文へ突き進んだ冒頭一文が
「ロリータ、我が命の光、我が腰の炎、我が罪、我が魂。ロ・リー・タ。」
あの序文を書いた人間を助走をつけて宇宙の彼方に殴り飛ばすべきなのでは、という感
想が冒頭5秒で出てくるのは、そこそこ読書歴の長い私でもはじめての体験でした。
これは思いのほか、やばいブツを手に取ってしまったのではないか……という一抹の不
安が既に頭をよぎります。
さて、この物語の主人公はハンバート氏。年端も行かない娘達を『ニンフェット』と称
してこよなく愛する不気味さと邪悪さ、そして厄介なことに知性を兼ね備えた大学教授で
す。
この大学教授の生い立ち(若かりし頃の不幸な恋愛遍歴や結婚の失敗)などを経て、物
語はこの教授が下宿先の未亡人の娘であるドロレス(愛称ロリータ)に一目惚れ、この少
女目当てに母親と再婚する(つまりは親子丼からいつかは親を抜こうとする行為ですね
!)ところから物語は回り始めます。母親から微妙にネグレクトされているロリータは、
気まぐれな性格ながらもこのハンバート氏に気を許していきます。
「まあロリータっていってもせいぜい可愛くて蠱惑的な女の子にうっかり恋したおっさん
があれこれ振り回されたりする程度の話かな……」
などと思った私の予想とは裏腹に、どんどん物語はこのハンバート氏の邪悪かつヤバい
、語彙が少ないと思われそうですが、『ヤバい』としか言いようのない少女への眼差しに
満ちた文章がどろり、どろりと綴られ続けます。たとえば、
「Tシャツと白い体操用ショートパンツのすきまに、輝く肌がちらりと見えた」
(p76)
1955年の文章とは思えない一文ですね。変態の眼差しというのは世紀を超えても変わら
ないものなのかもしれません。
さて、そんなこんなでハンバート氏はある日、これらの情欲を書き綴った日記をなんと
妻に見られてしまうのです。
「もうあの子には近づけさせない!」と怒り狂って家を走り出たハンバート氏の妻です
が、なんということでしょう。ここで車にはねられてあっけなく死亡してしまいます。
そしてハンバート氏はロリータをつれて、アメリカ中を車で旅行し、時には彼女に翻弄
されつつ、各地のモーテルでスキャンダラスな関係を結ぶことになるのです。
良い子にしてないと施設に入れるぞ、と脅したり、可愛い洋服やマニキュアを買ってや
って仲直りしたり、プールやテニスを許したり(ただし他の女の子と一緒だったらという
条件をつけるこの変態! 抜け目がない!)と変態トラベルアメリカ旅行を
「ニンフェットを我がものにし、奴隷にした魅惑の旅人」
(p230)
などといって満喫していたハンバート氏ですが、旅行の資金は尽きてきて、本人は老い
、ロリータは成長していくわけです。
成長したロリータは知恵を身につけ、旅の途中でこの変態のカタマリの様な養父の元か
らするりと脱走することに成功。若い男と結婚しかも妊娠してしまいます。そしてハンバ
ート氏は拳銃を片手にその相手になった男を撃ち殺そうと追いかけるわけです(その結末
は是非本書をお読みくださいね!)
なお作者のナボコフはロシアの貴族の家に生まれ、革命でヨーロッパ、そしてアメリカ
に移り住み、『ロリータ』は英語で書かれています(後に自らロシア語翻訳版も出してい
ますが、世界的にセンセーションを巻き起こしたのはこの英語版です)
『ロリータ』は1958年に出版されベストセラーになるも、たった5か月で5か国で発禁処
分になり、イギリスでは署名運動にまで発展したとのこと。
ちなみに、宇宙の彼方に殴り飛ばすべきなのでは、と思ったあの序文ですが(これはソ
連で1989年にやっと発行される流れになったときに付いたものです)、こう締めくくられ
ています。
「『ロリータ』は、子供を持つ親、ソーシャル・ワーカー、教育者などといった我々読者
全員に対して、より良き世代をさらに安全な世界で育てるという責務に、いっそうの警戒
と慧眼をもって邁進することを促してくれるに相違ない」
なお、『テヘランでロリータを読む』には、こんな一説があります。
「どれほど体制が抑圧的になろうと、どれほど私たちが怯え、怖じ気ついていようと、私
たちはロリータのように逃亡を試み、自分たちだけのささやかな空間をつくろうとした。
スカーフの下からちらりと髪を見せ、画一的なくすんだ服装の中にさりげなく色彩を加え
、爪を伸ばし、恋をし、禁じられた音楽を聴くことで。」
(p43)
なおこの本に登場している『(『ロリータ』では)知的男性の人生が蓮っ葉な小娘によ
って台無しになった』とのたまったイランの教授は、その蓮っ葉な小娘を散々非難してい
ながらも、妻にする女性は年齢二十三歳以下の女性であることを第一条件とし、二番目の
妻に少なくとも二十歳は年下の女性を迎えたそうです。
つまりロリータを読んで、うわあ変態! 気持ち悪い! 最低!! ってこうして堂々
と叫べる国に住まう私たち、実はとても幸せなのかもしれませんね。
題名も名前も知っているけど読んだことないなあ、という人もとても多いであろう『ロ
リータ』。そしてそれを抑圧された環境で読む『テヘランでロリータを読む』、の二冊。
時間と興味があって、「濃厚な」読書体験をしてみたい方は是非ご一読を。
@akinona

