「好き」とも少し違う、「憧れ」という気持ち。私たちはなぜ、何かに憧れるのでしょうか。そして、憧れは私 たち自身に何をもたらすのでしょうか。「『憧れ』の正体」では、その世界をつくる人へのインタビューや、 ブランド、ホテル、美術館など、人を惹きつける思想や背景を読み解くことを通して、「憧れ」という感情 の輪郭を探ります。
今回は、現在、ライターとしてストローマガジンでも活動する石倉佳奈さん(以下、いしかな)にお話を伺 いました。漫画家への憧れから始まり、自分のできることを手がかりにキャリアを築いてきたいしかなさ んの歩みから、「憧れ」との付き合い方を探ります。
プロフィール
石倉佳奈(いしくら・かな)/いしかな
関西の大学を卒業後、「30代でやりたいことを形にする」という目標から逆算し、大手通信キャリアの販 売代理店と広告代理店にて約10年間、営業・プロモーションのキャリアを計画的に積み重ねる。32歳で 退職後、次のキャリアを見据えて1年間のインプット期間を設け、日本全国の美術館をめぐるひとり旅 へ。現在は、AI時代だからこそ価値が高まる「アナログな美術体験」の魅力を、初心者にもわかりやす い言葉で届けるライターとして活動している。
人生で初めて「憧れ」を抱いた対象
——いしかなさんにとって「憧れ」とはどういう感情でしょうか。かつて憧れたものなどはありましたか?
いしかな:小学生の頃に、漫画家さんには憧れたかもしれないです。私が一番最初に持った夢は、「久 保帯人先生のアシスタント」だったんですよ。私が小学生だった当時は、ちょうど週刊少年ジャンプの黄 金時代で、特に『BLEACH(ブリーチ)』という漫画が大好きだったんです。作者の久保帯人先生の描く 世界観や作画に魅了されましたね。でも「漫画家になりたい」じゃなくて、久保先生みたいな独自の世界 観を描ける人と「一緒に仕事したいな」と思っていました。
——「なりたい」ではなかったのですね。
いしかな:私にとって「憧れ」は、尊敬や敬愛に近い感情なんです。例えば、ある人に憧れたときに「憧れ ているだけでいいのかどうか」という分別はすごく大事だと思っていて。憧れの人みたいになりたいの か、それともその人と自分は全く違うタイプだから、違う路線で頑張って追いつこうとするのか。その憧 れに対して自分がどうしたいのかはすごく考えますね。
「好き」という感情は、キャラクターやモノみたいに日常にインスタントに取り入れやすいものだと思うん です。でも「憧れ」は、もっと自分を投影して、自分と照らし合わせている感じがするんですよね。自分は まだ届いていないからこそ、じゃあ自分がどうしたいのか、どうありたいのかを自問自答する。憧れはす ごく素敵でいい感情だからこそ、その対象と自分を比較して、自分がどうありたいかを考える作業はす ごく大切なのかなと思います。
1年間のインプット期間にめぐった、全国の美術館の旅
——そこから「美術」という業界に携わっていこうと決めるまでには、どのような背景があったのでしょう か?
いしかな:もともとアートや美術が好きでした。進学して関西に引っ越してから、奈良や京都、大阪、兵庫 の美術館に行く機会が少しずつ増えていったときに、「アートって面白いな」と思って。文系専攻で歴史も 好きだったので、作品を観ることや、アーティストがどういう意図でこれを作ったのか、そういう制作の裏 側の部分を調べたり、考察するようになっていったのがきっかけでしたね。
ただ、それを「仕事にしよう」と決めたのは、これからの時代を予測したこともひとつです。今後、AIやデ ジタル技術がさらに発達していくからこそ、その対極にある「アナログの希少性」や「歴史の文化的価 値」が再評価され、もっと必要とされる時代がきっと来るなと。美術はまさにそのジャンルです。ただ、美 術って「ハードルが高そう」と思われがちなので、私のような美術系とは少し離れたキャリアだからこそ、 面白おかしく、分かりやすく伝えられる人が間にいれば、面白いんじゃないかなと思ったんです。
——そこから、実際に会社員を辞めて日本全国の美術館をめぐられたと伺いました。なぜ思い切って旅 に出ようと思われたのですか?
いしかな:1年間は仕事を一切しないでやりたいことをやろうと決めたんです。そのやりたいことのひとつ が「日本全国の美術館をめぐる」でした。
北海道へ行ったり、四国を1周したり、東北を1周したり。ある程度まとまった時間がないと行けないよう なところに行けたのがよかったですね。あとは英語の勉強をしたり、美術のことを仕事にするならもっと 知見を持っておかなきゃいけないな、と思って。勉強したい気持ちがすごく強かったです。
——全国をめぐられた中で、特に印象に残っている美術館はありますか?
いしかな:どの美術館もよかったですが、神奈川県の箱根にある「ポーラ美術館」です。あとは、山形県 の「山形美術館」もよかったですね。展示されている作品は本当に一級品で、モネとかもあったり、文化 財もすごくて。美術館の質としては相当高いところだったなっていうのは印象的でしたね。
山形美術館(ご本人による撮影)

佐川美術館(ご本人による撮影)

——30代になってから次に何をするかを考える際、どのような基準で選ばれたのですか?
いしかな:まず「何をやろう」っていうよりは、「何をしたくないか、何ができないか」を考えました。社会人 として10年ほどキャリアを積んできて、自分の向き・不向きは分かっていたので、そこはこれからのキャ リアでも「やらない」って最初に決めたんです。
その上で「じゃあ、自分には何ができるんだろう」と見つめ直しました。営業スキルはあるから営業の仕 事はできるけれど、40代、50代になってもずっと同じように営業を続けられるかというと、体力的にもし んどいかもしれない。それに、どこかで「自分には営業しかできない」というコンプレックスもあったので、 このままではいけないなと思ったんですよね。
そこで、自分の営業スキルを活かしつつ、新しく「手に職」をつけようと考えました。それが、ライティング や、これまで経験してきた広告の仕事だったんです。「ライティングをやりたい!」という憧れだけで飛び 込んだというよりは、自分のこれまでの武器を一番活かせて、かつ大好きな業界に効果的に関わり続 けられる「最適な手段」として、この仕事を選んだという感じですね。
「生のアナログ体験」の価値と、伝える架け橋としての役割
——現在、ライターとして記事を書く上で、大事にされていることは何でしょうか?
いしかな:まずは「難しい言葉を使わない」ことですね。美術館へ行くとよくキャプションに作品の説明や 解説が書いてあるんですけど、他のお客さんを見てると、絵はさらっと見て、キャプションをじっくり読ん でる人が多いんですよ。
でも、そこに書かれてることって結構専門的な用語が多かったり、馴染みのな い表現が多かったりするんですよね。読んでいても、どこか「難しいな…」と戸惑ったような表情のまま、 次の作品へ流れていってしまう様子をよく目にしていて。せっかく楽しみに美術館に来ているのに、作品 そのものを観るよりキャプションの前で悩んで頭を使ってしまうのって、すごくもったいないなと感じるん です。
キャプションって、あくまで補足なので。だからこそ、アートに興味はあっても「難しそうだな」って思う人に 届けるために、馴染みのある、噛み砕いた言葉で説明するというのはすごく気をつけています。
——誰にでも届く言葉で発信することは、美術の「入り口」を広げることにもつながりますね。
いしかな:そうですね。例えば、私は「目が見えない方の美術鑑賞」というテーマにもすごく興味があるん です。絵を言語的にどう伝えるか、そこには仲介者の主観が入ってしまう難しさもありますが、美術館側 が快適に鑑賞できるような努力をしていても、それが世の中に届いていなければ意味がありません。行 きたいと思っている人が、情報不足で諦めてしまうのはもったいない。だからこそ、美術館と鑑賞者の間 に立って「情報を発信する人」が必要だと思うんです。私の活動も、その架け橋のひとつでありたいなと
思っています。
——記事を読んだ人に、どうなってほしいですか。
いしかな:やっぱり美術って「生で見てなんぼ」だと思うんです。コロナのときに来場できない状況を打破 するために、美術業界では「オンライン美術館」とかVRを使ったプロモーションをやってたんですけど、 結局それで気づいたのが「やっぱり絵や彫刻は実際に見た方がいいよね」ということでした。筆のタッチ だったり、油絵の具の厚みだったり、実際の大きさっていうのは、実際に足を運ばないと絶対に分からな いんですよね。
見た人一人ひとりによって見え方も異なりますし、サイズ感なんかも「縦何センチ、横何センチ」って説明 されてもイメージしにくくないですか?オンラインのよさは手軽さやスピード感だと思うんですけど、やっ ぱり生で見ることで美術のよさ、アナログのよさが分かりますし、そこに価値があると考えます。私が実 際に見に行って記事を書き、それを偶然読んだ人が「じゃあちょっと行ってみようかな」って足を運んでく れるのが、一番のゴールなのかなと思ってます。
自分らしい「憧れ」への向き合い方
——憧れは、ただ「こうなりたい」と思うことではなく、自分がどうありたいのか、そしてその世界にどう関 わりたいのかを考えるきっかけにもなるのですね。
いしかな:そうですね。「自分のできることで、好きな業界に携わる」という考え方が、私が一番続けられ る仕事のスタイルだと思っています。
いしかなさんのお話は、憧れに近づく方法として、自分のできることを提供する方法を教えてくれまし た。憧れと自分の心地よい距離を測ってみる。その先にこそ、自分にしか見つけられない、その世界と のヘルシーな関わり方が待っているのかもしれません。
