ミヒャエル・エンデの『モモ』。どこの図書館にも必ず置かれている名作ですね。私もすっごく昔に読んだり、絵本になったバージョンを読んだりしたことがあります。
そしてこの本の正式タイトルをご存じでしょうか。『時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子の不思議な物語 モモ』といいます。
物語は小さな円形劇場にモモが住み着いたところからはじまります。年齢を聞いても歳を聞いてもよくわからない答えしか返ってこない、不思議な女の子。近所の人達は協力してこの子を(施設に送るのではなく)この円形劇場に住まわせてやることに。
この不思議な女の子モモにはひとつ特技がありました。それは『あいての話を聞くこと』。これ、出来るかと問われると思わず大きな大人でも考え込んでしまうような、とても難しいことだと思うのです。
けれどモモは相手が大喧嘩中の大人達でも、子どもでも、動物でも、じっと寄り添って話を聞いてくれます。
子ども達にもモモは大人気。何故かモモと一緒にいると、素敵な遊びが思いつくのです。おかげで円形劇場でのごっこあそびにも熱が入るというもの。(円形劇場で繰り広げられる大迫力の海の冒険ごっこのシーン、必読です)
モモには親友がいて、口数の少ない道路掃除夫ベッポ、逆に口から先に生まれてきたようなおしゃべりな観光ガイドのジジ。親友達と楽しく喋り、毎日を暮らしていましたが、彼らの住む町に『灰色の男たち』が現れるのです。
「わたくしは時間貯蓄銀行から来ました。ナンバーXYQ/384/bという者です。あなたは、わたくしどもの銀行に口座を開きたいとお考えですね?」
いつの時代もこの手のやり口はだいたい詐欺ですよね。
しかし、この灰色の男たちは「時間を倹約し、その額を銀行に預けるよう」言うのです。そして、映画や合唱団の練習、友達に会うこと、インコの飼育や読書などを『無駄な時間』と言い、何だかよく分からないけどぴったりと合っている計算式を、話し相手(未来の顧客ってやつですね)に見せびらかし、「その時間を預かって利子までつけれるんですよ」などと言ってくるのです。
さらには「契約書はないのか」と問い掛けると、
「なんでそんなものがいるんです? 時間貯蓄は、ほかのどんな種類の貯蓄とも、まるっきりちがうんですよ。それは完全な信頼の上になりたってます。ー双方の信頼に! わたくしどもは、あなたの同意のことばがあれば、それで十分です。そのことばは取り消せません。そしてわたくしどもは、あなたがちゃんと倹約するかどうかを気をつけています。でも、どのくらい倹約するかは、あなたにまかせます。強制なぞしませんよ」
まさに詐欺の名文ですね(何事においても、契約書は本当に本当に大事ですよ!!)
こんな口車に乗せられて時間貯蓄銀行といつの間にか契約し、自分の生活から『不必要な時間に関するもの』をどんどん消していってしまうのです。人々はふきげんで、くたびれて、おこりっぽい顔、そしてとげとげしい目つきになっていくのです。
「時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした」
この一文には、著者エンデの考えのようなものも滲んでいる気がします。未来への私達に対する警鐘にも聞こえてきます。
そして、円形劇場に住まうモモも気付きます。昔からの友達が、ここを訪れなくなってきていることに。そして子ども達の数がやたら増えてきていて、この子達は「自分の力で」遊びを生み出すことが最初のうちは全然出来ない、そんな子ばかりなのです。そう、これは、大人が自分の子ども達にさえ時間をかけなくなってしまったからです。いつの間にか、街全体が何かおかしい空気に包まれていることに、モモやその友達のベッポ、ジジ達は気付くのです。
そしてモモは古い友達達(つまりは大人たち)の元へ、何が起こったのか、ひとりひとり訪ねていくことになります。モモにただ話を聞いて貰うことで、気持ちが明るくなったりしてつきあいが復活していく大人もいましたが、これは「灰色の男たち」にとっては大変邪魔なことだったのです。そして、灰色の男たちはモモを捕まえることにしたのです。
何も知らずに過ごすモモのところに、一匹の不思議なカメのカシオペイアがやってきて、カシオペイアの言うとおりに外に出たモモは、灰色の男達の魔の手を逃れることになります。そして連れてこられたのは不思議な賢者マイスター・ホラの住まう〈どこにもない家〉。
『時間を司っている』彼から『時間の花』を受け取ったモモは、皆の時間を取り戻すべく、とうとう灰色の男たちと対峙することになるのです。
とても愉快な活劇とちょっとしたホラーも兼ねた冒険小説であり、『時間の花』に象徴されるような、美しく浪漫主義的なドイツの童話の系譜であり、人生の真実や現代、そして未来の社会への風刺を存分に盛り込んだ1冊でもあるこの1冊。
「時間がない」「暇がない」そして「タイパがいい」(タイムパフォーマンス、すなわち「かけた時間に対する成果や満足度のこと」ですね)に踊らされる大人、そんな大人に『扱われる』子ども達。人間から時間を盗んでいく『灰色の男たち』、時間の有限性と無限性、見せかけの『能率』や『繁栄』の哀しさ、そして、人間が人間らしく生きるためには『時間』とどう向き合うべきなのか。
『生きる』ということは、時間と向き合うことそのものだと思います(作中の『灰色の男たち』は、時間の花で出来た葉巻がなくては生きられない、そういう不可思議な存在です。互いの葉巻を奪い合うことさえするのです)
この『モモ』という1冊には、色んなことが詰まっています。作者の思いもまた、詰まっているのです。読んでみると、摩訶不思議な話の隙間から、著者がそっと目配せをしてくれるような、そんな万人向けの童話なのです。
読むと、『自分は良く生きているのだろうか』と思わず自分に問いただしてしまうような、それでいて教訓めいたことは一切言ってこない、絶妙な塩梅の物語。
子どもの頃に読んだような、という人が、大人になってからもう一度読むのにもふさわしい童話のひとつでもあると思います。
そしてもしもまだ読んでない人がいても、これから読むことを、本そのものが待ってくれていたのではないか、そんな気分にさえさせてくれる1冊です。
スマホをちょっとの間、傍らに置いて、日々の業務にちょっと疲れたときに、ゆっくりと読むのにふさわしい『時間どろぼうと ぬすまれた時間を人間にとりけしてくれた女の子の不思議な物語 モモ』。
自分の時間というものは、自分だけのものです。誰かと共有すれば花開く美しいものでもあります。この本を片手に、『人生』と『時間』について、静かに考えてみませんか。
@akinona

