キスシーンで万歳!~「天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲」

· 教養

 8月は毎年、戦争関係の話題が多いですね。戦時中の話、戦争後の話などを身内の方から聞いたことがある人も多いでしょう。今回は家にある書庫を漁っていたら興味深い本が出てきたのでご紹介です。


 戦争中、軍による日本映画の検閲が激しかったことはそこそこ知られていると思いますが、じゃあ終戦直後、GHQ(占領軍)支配下の映画の検閲はどうだったの?という話です。


 本のタイトルは「天皇と接吻 アメリカ占領下の日本映画検閲」(こんなごつい本がなんで我が家にあるんだろう、と思ったら、どうやら演劇になったことがあるらしく、演劇好きな私の夫が所持していた本です。私、このコーナーいつも義父やら夫やらの本をぶんどって書いている気がしてきました……)


 さて、飲酒に裸体にキスシーンどころか手を繋ぐのもアウトだった軍国主義(がやっと終わった)日本の映画界にやってきたアメリカ情報部教育課担当官(要するに映画をチェックする人達)ですが、


『日本映画は男と女が愛しあう時にどうしてキスもしないのか? 奇妙ではないか』


 チャンバラも復讐劇も禁止されたのに(後述します)、そこはいいんだ!? と日本映画界はまさに青天の霹靂。さっそく(?)キスシーンのある映画を公開したところ、観客は生唾を飲んだり、キャッと叫んだり、万歳したり(!)で上へ下への大騒ぎになるのです。


 もちろん、評論家の間でもキスシーンは賛否両論。

「日本人はそもそも公衆の面前で接吻しないもん!」

「1時間余の映画でたった数秒の接吻シーンを売り物にするとは情けない」

「淫らで不自然では」

「そんなこと言うから日本人は世界でいつまでも田舎者扱いされる」などなど、GHQをよそに大論争に発展します(当時の新聞アンケートではキスシーン賛成派は73%だったとか)


 そして演じる側の女優・男優さん達も大困惑。西洋の映画の様に、美しく巧みなキスシーンを日本人がやるのは難しい(鼻の高さとか……)ことが判明してきます。

 キスシーン映画ときいて降板する俳優さんもでたり、大御所として知られる原節子さんみたいに『接吻が日本人の間で自然なものになるまで待つわ』などという判断をする女優さんもいたりしたのです。


 しかしGHQは日本映画にキスシーンをもたらすためにやってきた、というわけではなく、ノーモア軍国主義! 忠義だの復讐だのといった物騒なものは全部NGです! 日本の伝統的な封建主義社会的なものもアウトです! が本来の目的なわけです。


『企画書と脚本は英訳して提出するように』という彼らのお達しのもと(日系二世の人達がこの役目を担っていたとのことです)、日本軍ではなくアメリカ軍による検閲が始まったのがこの時代、というわけです。


 つまり、戦前から戦中にあったような忠義だの復讐だのがメインのチャンバラ映画こと「時代劇」はここで割と『ガチ目に』滅亡の危機に瀕してしまいます。

 私達にもなじみ深い黄門様こと『水戸黄門』ですら、「封建主義的だからアウト」という判定が下されてしまう時代がやってきてしまいました。

 「心中もの」で有名な江戸時代の大作家、近松門左衛門原作の作品が検閲に引っかかったときは、検閲側に『あなたの国でシェイクスピアが封建的って文句言う人はいないでしょう!』って抗議し、なんとか事なきを得たりしたそうです。


 なおマッカーサーはフィリピン大統領と歌舞伎を一緒に観たものの、まったくついていけずに途中退席してしまったそうです。歌舞伎界も大ピンチです。

 しかしここで歌舞伎大好きアメリカ人がマッカーサー通訳兼側近から演劇担当検閲官になり、氏の個人的努力で歌舞伎演目が解禁されてきたそうです。

 今では若い人も見に行く歌舞伎は、この時に個人の努力で守られていたからこそ生き延びることができたようです。


 もちろん、軍国主義っぽいものがだめなら女性蔑視なんてもってのほかです。

 有名な尾崎紅葉作『金色夜叉』映画化の時には、主人公の貫一が金に目のくらんだ恋人のお宮を蹴っ飛ばす名シーンが「女性蔑視」ってGHQより削除命令が下りました。

 もちろん製作者達は抗議するのですが、その結果、検閲官が「それなら貫一の靴にカバーをかけなさい。お宮の着物も汚れないし蹴られたショックもやわらぐから……」と許可を出す、というなんだかコントみたいな出来事も勃発したそうです。


 そしてこの頃活躍していた映画監督には、今や日本映画の大巨匠ともいえる黒澤明がいますが、こんなにもバリバリ検閲される時代に、闇商売と性病と賭博と売春の話が出てくる映画『酔いどれ天使』を出そうとし、もちろん検閲に引っかかり、書き直しを喰らっていたりもします(検閲されるとわかっているはずなのに、なかなかロックな内容の映画を撮るものだなあ、と尊敬すらしてしまいますね!)


 そんなGHQのトップであるかのマッカーサー率いる総司令部にアメリカ本国から下された指令は以下の通り。


『天皇制に対する直接の加撃は民主的要素を弱め、反対に共産主義並びに軍国主義の両極端を強化する。故に総司令部は、天皇の世望をひろめかつ人間化することを極秘裏に援助するよう命令される

 以上のことは日本国民に感知されてはならない』(p185)


 つまりは「天皇制はまあしょうがないから許すけど、日本人の思想はこっそりと映画とかをうまーく使って民主主義方向へと改善していこうね!」ということです。キスシーンはアメリカ民主主義のシンボルだった、というわけです。まさに『天皇と接吻』ですね。


 英国式の思想や生活様式を植え付け、日本の民主化を図ると言う占領軍の政策は見事に成功してはいますが、この占領の終結(1952年)と共に、連合軍や米国に批判的である、という理由で禁止されてきた原子爆弾や米軍基地周辺の問題なども日本映画で取り上げられることができるようになったのです。


 歌舞伎の映画が大ヒットしたり、刀を振り回しては鬼を斬るアニメ映画が大ヒットしたりしている昨今ですが、時には「日本の映画はこんな時代も経てきたのだ」ということを頭の片隅に入れておくと、少しばかり視野が広がるかもしれません。

 それでは皆様、本物の自由に満ちた良き映画ライフを! サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!


@akinona

Section image